Glorious Ordinary Day

Glorious Day, Ordiary Day and Glorious Ordinary Day

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僕らが揚々と自発的に選びとったものは、誰かが恣意的に用意した選択肢のひとつに過ぎないかもしれないという恐さ。

初詣の帰りに寄った横浜の中華街。とあるお店の前で、煌々と赤やら青やらの光を放つクリスマスツリーに出くわした。

その時は、「正月にクリスマスツリーかよ!」って笑ったんだけれど、時間が経って、何か心にひっかかるものに気付いた。

中国ではより盛大に祝うというまだ迎えていない旧正月のことだとか、そんなことは別にして、僕がクリスマスツリーを見て感じた“笑い”に対する違和感。

滑稽に感じたのは、本当だけど嘘で、嘘だけど本当。

なんだかよくわからんが、しばらく経って感じた、なにか違うという違和感。

そういやあのツリー、とっても綺麗だったんだ。

じゃぁ、季節外れでも、とても綺麗なクリスマスツリーを笑ったのはなぜ?

少し考えてみた僕なりの答え。

あのときの僕の意志は自発的なものではあるのだけれど、社会の構造によって喚起されたものなんじゃないのか。

つまり、この社会のシステムは、季節外れのクリスマスツリーに違和感を感じるように出来ている。

ならば・・・。

男同士で手をつないでいるのを見て笑うヤツがいたとして、僕はそいつを単純に否定することの難しさを感じる。

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  1. 2008/01/14(月) |
  2. 20代後半、男の黄昏と哀愁!?
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
<<「KY」ってのは、空気を読めない人を差して使うことを最近知ったんだ。なあ、オレのことをもっと知っておくれよ。えっ?オマエ、KYだって?うひょー | ホーム | 【私生活覗き見バトン】を頂きました。>>

コメント

難しいです…。

社会の構造…、確かにそうですよね。
この世の中に“普通”なモノなんてないのに、常識に縛られちゃってるから、そこからはみ出したモノを無意識的にバカにしちゃうんだよなぁ…。

もしこの構造が変わったら幾分善くなるのかもしれないけど、そんな簡単に変わるものじゃないしなぁ…。
んー、難しい問題です。


…あっ!明けましておめでとうございます。
  1. 2008/01/15(火) 01:04:06 |
  2. URL |
  3. けんた #HVsk5Txw
  4. [ 編集]

そうそう難しいー

■けんたさん

明けましておめでとうございます。
至極独りよがりな戯言記事にコメントを・・・・、ホントありがとうございます。

色んな問題にも言えるんだけれど、そもそも、異なるものを、互いに、自然に認め合うことができる社会環境というのは、実現が難しいんですよね。

そういった社会の実現って、最短で目指すならば、どっかの大企業が資本主義のシステムに組み込んじゃうことだと思うんですが、まぁ、やっぱ、難しいや・・・(苦笑)。
  1. 2008/01/15(火) 01:34:50 |
  2. URL |
  3. HumansBeing #mQop/nM.
  4. [ 編集]

HumansBeingさん、今年もよろしくお願いします。
今年初めての更新がきたら、
即コメントをつけにいこうと待っていたんですよ。
さて、この話、もっと掘り下げて考えてみたくなりますね。
根拠となるものってなんだろうと裏をかくうちに、
どっちが裏でどっちが表か分からなくなるような。
難しいけど、気になることですよね。
いつもの“HumansBeing節”を読むことができて、
今夜、眠るタイミングをのがしたのも、
これはこれで正解だったかもしれません。
あ、それはそうと、初詣の帰り道っていうくだり、
これはいったい誰と一緒だったの?
年も明けたわけだし、
そろそろ小出しにしてみてもいいのでは?(笑)
  1. 2008/01/15(火) 02:44:29 |
  2. URL |
  3. らーじ #wNlbwpMM
  4. [ 編集]

■らーじさん

らーじさん、こちらこそ今年もよろしくお願いします!!
それにしても、新年第一号を待っていてくれただなんて、僕はすこぶる喜んどります。ありがとうございます。

まさにどっちが表か裏か、判別ができないんですよね。

ただ、裏の裏は、はじめに自分が見たモノと同じ形をしていても、そのときはきっと、少し違った解釈ができる。なんとなくそんな希望的観測をしています。

例えば今回僕は、異質なものをどう受け入れるかについて考えていたのですが、きっと、そんな作業を繰り返して、もしかしたらお互いを認め合うことができるんじゃないかと・・・。

私事ですが、実は僕、大阪のめちゃくちゃ雑然とした地区で幼少を過ごしています。当然(?)、同和教育なんかは小学校のときにさかんに受けました。

忘れられない資料があって、部落差別はいかんと家族に教えられた年輩の方への、数十年前のルポ(のようなものだった思う)。その年輩の方はもともとすごく強い差別心を持っていて、だけど孫の親友が部落出身で、泣きじゃくる孫がその年輩の方へ、「差別はいかん!」と言いよった後のセリフ。

「差別はあかん。それはようわかった。せやけど、このいやな気持ちは消えんのや。わしは、どうしたらええんや。」

文章ははっきりとは覚えていないんですが、なんかそんな嘆きともとれるようことが書かれていたのを思い出しました。

ちなみに部落差別について書いたのは、この記事の題名とも関連付けています。なぜかというと、部落差別というのは、社会の設計者が、“人間が自発的に差別を行う”ように作り上げた、とても恐ろしい社会システムだと思っているからです。

っとまぁ、長々と私事私見を書きすぎてしまったので、初詣に誰と行ったかを書きそびれてしまいました。あーぁ、残念だなー(笑)

うひひ

あっ、らーじさん、よく眠ってくださいねー

  1. 2008/01/15(火) 23:39:31 |
  2. URL |
  3. HumansBeing #mQop/nM.
  4. [ 編集]

社会通念

新年明けましておめでとうございます。

年初のご挨拶をしようかなぁ~と思っていたのですが、なかなか新年一発目の記事が来なかったので遅くなりました(^^)。

確かに、社会通念として存在するものって思考の中にあるんですよね。

誰に笑えと言われた訳でもないのに、自然と「普通」と違う事を馬鹿にしてせせら笑うという行動を人間は取る。

日本人には特にそいうった感情が強いようにも思えます。

その普通とは何か。それは古から築き上げられた人間の観念で、それが段々と蓄積され後世に引き継がれてきている。

教育で伝わるものとは別に、目に見えない別の脅迫観念のようなもの存在する様な気もします。

変化を恐れる者はそれに固執し、孤独感を感じ、時に凶暴になる。

正しいなんてものはないのであり、常識なんて時代の流れによって変わっていく。その流れに乗れなければ滅びるのみ。

そう、自分は思っています。

ただ、自分の中で絶対正しいのは、人の心を傷つけてはいけないという事。それさえ守っていれば、自分の凝り固まった考えを柔軟に変化させ時代に合わせて生きていけるんじゃないかな...と思う。そう実践して生きようとしています。

でも、やっぱりその社会通念が自分の自由で柔軟でいようとする心を押さえ込もうとする。

心を呪縛から解き放つにはかなり厳しい道のりの様な気もします。

多くの人もそれで苦しんでいるんだと思う。

「心の呪縛」=「社会通念」

なんだか、上手く纏められないが、ちょっと気になる話題だったので乗ってみました(^^;。

  1. 2008/01/16(水) 23:24:28 |
  2. URL |
  3. きゅう #3PQ0vZcM
  4. [ 編集]

便利で恐ろしい

■きゅうさん

明けましておめでとうございます。

お待たせしてすみません。なんだか、本当に嬉しいですよ。

==

さてさて、社会通念! これこそ、人間が社会を持続させるうえで、この上なく便利で、この上なく恐ろしいもの!

僕も実践します。人の心を傷つけないこと。

そして、社会通念に従っても人を傷つけることがあり得ること、無知も人を傷つけることがあり得ることを肝に銘じていきます。

とはいえやはり問題は、人を傷つけないがために自分を偽ったとき、なにが待っているのか・・・。僕は脆弱な人間です。

きゅうさんの言う、「心の呪縛」=「社会通念」 ってヤツ!!

少し赴きは異なりますが、たまたま今、ホッファーという人の本を読んでいて、やられた!って思った文章を紹介しておきます。

『他人をだますことには大きなためらいを感じるが、自分をだますことには何の痛みも感じない人が多い。にもかかわらず、自分を欺く人間が、本当に真実を語れるかどうかは疑わしい。』

  1. 2008/01/18(金) 00:00:44 |
  2. URL |
  3. HumansBeing #mQop/nM.
  4. [ 編集]

自分を偽らない事

自分を偽らない事。それは大切な事なのですが、実は自分を押し殺す事は時に大切な事とも思っています。

人を教える立場に何度か立った事があるのですが、自分はここいつをこう評価しているが、こいつはこのままで大丈夫か?と思いつつも、職場が変わるのではっきりそいつに言えずに終わってしまった事があります。

で、久々にその職場に戻ったとき、そいつは自分の個性を輝かせて一人前に仕事をしていました。で、そいつを自分の価値観で縛らなくて良かったな...と。

前のコメントは自分に対する戒めでもあるのですが、自分の思考の中にある礼儀、作法、上下関係を重んじるという古い考えでは駄目であり、個性を伸ばす教え方をしないとならない。だから、古い考えに固執せず、自分も柔軟に考えようと思った次第で。

あと、自分を偽る怖さは、自分を大きく見せようと思ってしまった時かな...。下の奴の前で醜態は見せられないと嘘で固めてしまったときの恥ずかしさ、惨めさ。それから自分は失敗したときは恥ずかしいし、馬鹿にされる時もあるけど、「失敗した」とはっきり言っています。こいつ使えねぇ~と最初は思われるが、そうやって自然体でいるとそれなりにまた信頼が付いてきています。

失敗したら、自分で取り戻せばいい。下の奴の方が何かに長けてきたらそいつの三倍努力すりゃいい。そいう自分に言い聞かせて生きてます。

疲れますが、悔いはないなぁ...。仕事終わりの充実感も違うし。

人も騙さない、自分も騙さない。まっすぐ生きる!それが今の課題かな。


まあ、ゲイである事は周りに隠して生きてますがね(~~;。
  1. 2008/01/19(土) 00:16:45 |
  2. URL |
  3. きゅう #3PQ0vZcM
  4. [ 編集]

自己欺瞞

■きゅうさん

忌憚のないお話をありがとうございます。

実は、このエントリー、新年らしくなにか明るいオチをつけるつもりだったものを、オチなしのまま誤ってアップしちゃったものなんです。

だけど、こんな深い意見が聞けてよかったと思ってます。

===

人を教える立場に立ったり、責任ある立場に立ったときには、なにが正解(というよりも、もっとも妥当であるもの)なのか、本当に難しくなってきます。

僕にはまだまだ、きゅうさんのように大きくなれそうもないや(笑)。まだ、芯が弱いみたいです。

会社という組織の論理は、時に残酷であることさえも強制します。そんなことも考え出すとなおのこと・・・。
(窓際族の僕に、そんなことを考える必要はないのかも知れませんが......苦笑)

ただ、生に対する態度としてだけは、自己欺瞞に陥ることのないようにしたいものです。
  1. 2008/01/19(土) 23:58:15 |
  2. URL |
  3. HumansBeing #mQop/nM.
  4. [ 編集]

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Humansbeingです。次の席替えでは、窓際というより窓の外にデスクが置かれるともっぱらの噂です。
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